今年は友達と一緒に見ました。
好きな桜のひとつ
輪島市石休場 手弱女桜
今年は友達と一緒に見ました。
好きな桜のひとつ
輪島市石休場 手弱女桜
「要るもの」「要らないもの」
価値観 感覚の違いに
戸惑う事があります。
素敵な色の着物を着ていたので
「その着物良いね」と言うと
「ああ〜もらい物ねん。
要らないって言うから‥」
嫌〜な感じの顔をしたのを見て
人に着物はあげられないなぁと
思いました。
「要らないもん貰ってあげたんやから
お礼なんかせんよ」
言ってた人も。
人から物をもらった時
相手の「要らないもの」と
思ってしまうのは
物が溢れている時代だからなのか
「要らなくなったら売る」
ネットの宣伝文句の影響かな?
お裾分けする時
大きいもの形の良いのを
自分が取って
残りを人にあげるという話も
驚きでした。
季節の野菜や花をよく頂きます。
選別してあって
その人の心がこもっていて
嬉しくなります。
気持ちや労力を考えると
「要らないもの」と思う事は
ありません。
でもあまりにも花が可愛いくて
野菜が美味しそうで
お裾分けする時
相手に「要らないもの」と
思われないか考えてしまいます。
毎日どこかを片付けてます。
今日は押し入れをひとつ空け
紙袋の片付け。
断捨離をする前
20年分の紙袋がたっぷりありました。
それを中学校のバザーに全部寄付して
もう紙袋はためないと決めたのに
綺麗な物は捨てられなくて
またこんなに溜まってしまいました💦
今まで鏡台の引き出しに入っていたのですが
お裾分けなどに使う時
大きさを見るため
全部引っ張り出してました。
それがもう嫌になって
YouTubeで検索して
A4サイズのファイルケースに収納。
これだとサイズもマチも見やすいです。
スッキリしました✨
実家から回収したタッパー
差し入れと交換です。
母は食べた後に
「京子?あれ美味しかったわ」
必ず電話してきます。
忙しい時はイラっとするし
親子なんやからいちいち
いいよと言っても
掛けてきます。
親子でも「お礼と食べた感想を言う」が
礼儀なのだそうです。
90歳を過ぎて
あちこち痛くて自分の事で
精一杯でも
人様から頂いた事の
お礼お返しだけ忘れない。
私もすっかり受け継いでしまい
「そんな時代じゃない」
「堅苦しい」なんて言われてます。
「そんな時代」「堅苦しい」の
定義がよく分からない💦
母はもちろんですが
私も「古い人間」に
なってしまったのかなと思います。
母は祖母から受け継いだ
律儀さなのか
人から言われて
やめてしまうのは
母と祖母の事を否定する事になりそうで
しばらくは「堅苦しい」を
続けます🌸
先日友達と散歩中
「たらの芽」発見しました!
少し早いので
毎日見に行って
「明日くらい食べ頃かな〜?」
と思ったら即取る事!
他にも目を付けてる人がいるはず!
敵に取られてしまうからね!
とアドバイス!
思わず「敵」と言ってしまった 笑
友達からメッセージがきて
先に誰かに取られてしまったそうです。
敵もさる者(ーー;)
昨年の秋
西岸に泊まった朝
散歩の時に
出会ったおばあちゃんと
水曜日にまた会えました。
初めて会った時も涙が出るくらい
素敵な事を言ってくれました。
私の事は当然覚えていませんでしたが
「私達は地球の中に生かされている
毎日この海の向こうに上る朝陽を
拝める事の幸せ。
季節毎に朝陽の位置が変化する」
そして
「鎌で切った傷は自然と治るけど
言葉で人を切った傷は治らんよ」
「地球」出なくて「宇宙」
おばあちゃんの言葉は
ヨガを極めた人のようであり
今は亡き西岸の伯母の言葉に
思えて泣けてきます。
おばあちゃんは「本物」
コロナ禍でなければ
ハグしたかった。
美しい風景や
美しい花を見ていると
心までがそうなれる気がします。
青い空と海
桜 道端に咲く草花
美しいものだけを見た休日でした。
曳山祭りが無事終わり
お当組の人が祭りのポスターの
回収に来たので
「お天気も良くて
良いお祭りでしたね。
お疲れ様でした」
声を掛けました。
私の新聞投稿を読んで
「こうやって応援してくれてる人がいるんやなぁ」
皆さんで思ってくれたそうです。
「知らない」と「知る」では大違い。
嬉しくなりました(^^)
伯母との思い出の中に出てくる一本の道
駅まで迎えに来てくれた伯母と歩いた
砂利の細い
「近道」と言っていた道。
記憶違いか
もう無くなったと思っていましたが
友達と歩いたこの道がその道でした。
舗装されて広くなっていましたが
道の先には代がかわって
新築になった伯母の家が
ありました。
伯母との桜の記憶はありません。
あの頃は無かったのか
50年も前の事だから
花の咲かない苗だったのか
子供で関心が無かったのか。
いつか伯母と歩いた道
桜 道端の草花
おたまじゃくしを見ながら
友達と歩きました。
「愛されていた記憶」と
「この道はいつかきた道」
巡り合わせの不思議。
穴水駅から西岸まで
列車で行きました。
列車のスピードがゆっくりになり
ホームに差し掛かった時
車内の中の私を探す
友達の顔が見えて
懐かしい記憶が蘇りました。
「ああ…伯母もああして
迎えにきてくれた」
子供の頃
家の都合で冬と春休みは
母の姉である伯母の家で
過ごしていました。
夫を早くに亡くし
3人の子供を育てていた伯母。
支援が手厚い時代ではなかったので
当時大変な苦労を
していたと思います。
私は親元を離れ
毎日が心細い思いでしたが
伯母の直向きな深い愛情
夜明けや夕暮れの西岸の景色
あの頃の事があるから
今の自分があると思います。