「ちゃんと見とるよ」
残された義父の話しになると
誰もが言う言葉だった。
四十九日の翌日はひどく落ち込んでいたので
「誰も見てないですよ」
笑って言い返してしまった。
するとその方は
「見とるのは今までの京子ちゃんをやよ」
「だから京子ちゃんが、ちゃんとやっとる事分かるよ」
この言葉も私の事を「京子ちゃん」と呼んでくれた事も意外だった。
四十九日の残念な出来事が自然と口から出てしまった。
その方は姑の立場として
四十九日の出来事は
私とは全く違う捉え方だった。
「そっか、そんな風に捉えればいいんだ」素直に思えた。
目が覚めた気がした。
「どうせひとりでやる事なら
これからは頑張ろうと思える捉え方をして行こう・・・
真意を確かめる事は出来ないなら・・・
お目出度いと言われても
自分に都合のいい選択をする」
息子達にも、こう告げました。
二人は「がんばれ」とも「もうやめとけ」とも言いませんでした。
出来た息子達です(笑)
義母が亡くなってから・・・いえ、それ以前から
たくさんたくさん、妬んでひがんで卑下して来ました。
こんな私をどれだけの人達が、励まし慰めてくれたことか・・・
今日からツワブキの花言葉のように
負けずにまた頑張ります❢
凹んでばかりもいられない(笑)
愚痴を聞いてくれて
励ましてくれて、差し入れしてもらってありがとう。
頑張ります❢
本当の笑顔に戻れそうです。