転んでもただでは

「LINE」は一方的で

絵文字やスタンプで判断したりされたり‥

気持ちを表したつもり

そんなんがしんどくなって

LINE  フェイスブックを

もうやめようとしてた時の真夜中‥

「どうしたの?元気なの?」メッセージが届いた。

私の投稿が無い事を心配してくれたのだった。

私は珍しく

出来事を話してしまった。

「そうなんや、疲れたんや」の後に

「感じたことを
素直に表現する
京子ちゃんが
好きだなぁ」

 

そっか、こっちを向かないと。

ある友達から

「私は いつも 京子ちゃんの飾らない FBに

癒され 涙したり 共感してます🍀」

嬉しかった。

LINEは一方的なものでは無かった。

私にはずっとこんなだった。

 

 

 

息子達が幼稚園の頃ママ友に言われたなぁ。

「木下京子は転んでもただでは起きない!」

何かがあって分かる事

見える事得られる事があるなぁ〜

本当の事や大事な事に気付かされる。

やっぱり私は「転んでもただでは起きなかった!」

英語力が

 

雨です‥
雨は嫌いじゃない。
お隣の庭のムクゲはもう終わり。
夏椿は丸っこい実になりました。

千枚田行きのバス停を聞いてきた
あの外国人カップル‥

おどおどとバス停を指差した
さっきのおばさんが
血相変えて追いかけてきたの見て
驚いただろうな‥

「バス停教えたんだから金よこしな!」
なーんて脅されると思ったかもね〜〜💦

英語力がなくて悲し(T . T)

ふたりは今頃どの辺りなのかな〜〜。

雨です‥
雨は嫌いじゃない。
お隣の庭のムクゲはもう終わり。
夏椿は丸っこい実になりました。

千枚田行きのバス停を聞いてきた
あの外国人カップル‥

おどおどとバス停を指差した
さっきのおばさんが
血相変えて追いかけてきたの見て
驚いただろうな‥

「バス停教えたんだから金よこしな!」
なーんて脅されると思ったかもね〜〜💦

英語力がなくて悲し(T . T)

ふたりは今頃どの辺りなのかな〜〜。

 

母の浴衣

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実家の母の浴衣です。

子供の頃からこれが好きだった。

もう50年以上前の物です。

身を粉にして働いてきた母なので

一度も袖を通していません。

風呂敷包みを担いだ呉服屋のおばあさんが

時々うちに商売をしに来てました。

若い母は義理買いをしたのだと思います。

それとも高価な晴れ着を買えない母の

精一杯の贅沢だったのかも‥

今の様に物が溢れている時代ではなかった。

どこででも物を買える時代じゃなかった。

生地の質がとても良くて手縫いの仕立てで

とても丁寧な仕事をしてあります。

年月の経過による劣化は見当たりません。

お尻の部分が透けない様に

二重にしてあります。

女性に恥じらいがある時代だった。

おばさんになった

「運転手さん!千枚田に着いたら

(ふたりに)声掛けてあげてください!」

輪島色豊かな乗客の皆さんが一斉に私を見た。

「あんな事して私おばさんになったなぁ」と思った。

河井中央交差点で綺麗な外国人の女性と

アジア人に見える男性。

明らかに迷ってる

それもかなり切羽詰まってる。

スマホ見ながらあっちこっちを指して

歩いては戻るをしてる。

声を掛けた時は

「どっちも外国人だったらどうしよう」は消えてしまってた。

全く日本語が話せないようで

「千枚田」「バス停」「馬場町」

郵便局前のバス停を指差すと

その方向にふたりは歩き始めた。

直ぐ「宇出津行き」のバスが来たので

バス停まで走って「これこれ!これに乗って!」と言った!

ジェスチャーでしたが💦

2人が乗り込んだ後思わず

運転手さんに叫んでしまったと言う訳です。

 

「世界農業遺産とか言いながら

そこに行くまでの英語の案内無さ過ぎやろ?」

「over there   This bus is  for  Senmaidaくらい言えたやろ?」

「全然日本語話せんのに目的地が千枚田やなんて素敵や」

「あんな風に叫ぶなんて若い時には絶対出来んかった!

あれがおばさん化なん?」

目的地の銀行に向かいながら

心の中でぶつぶつ言ってました。

 

「映画 この世界の片隅に」

うさぎが跳ねてるように見える白波を

写生するシーンがありました。

それを思い出した空。

 

 

輪島崎大祭

昨夜は輪島大祭の最終日でした。

 

輪島崎町輪島前神社大祭

すごい人出だった。

今まで見た中で一番人出が多かったと思う。

八尾のおわら並みだった。

SNSの影響かな?

この祭り

亡くなった義母が好きだった。

河井の住民なのに河井の祭りには行かず

この輪島崎の祭りには必ず出掛けてました。

バックに義母の写真を入れて

好きだった「鯛の山車」を見せてやりました。

 

 

男性達が袴の裾を上げてるのが好き  笑

粘土教室に来てる子達に後ろから「つんつん」されて

一緒にいるおじいちゃんおばあちゃん

お母さん皆さんが笑顔で嬉しかった。

とても幸せな気持ちになりました。

 

ある人からは酔っぱって

「今度魚獲れたらあげるね〜〜」

ある人は奥さんじゃ無い人と手を繋いでる。

「え?( ̄O ̄;)」

「えっ!えっ!えーっ!そういう事〜〜!」

懐かしい人にも声を掛けられたり‥

祭りは深いね。

 

 

 

 

はまってます。

塩には「清め」「浄化」の効力があるといいます。

 

タコを大量に貰った時

茹でるために買った塩。

大袋がお得だったので買って

その後持て余していた。

嫌な事があった時の浄化に

「塩風呂」が良いと何かで見掛けて

すっかりはまってます。

塩風呂に入るとスッキリします。

 

 

良い事があった日も入ってしまいます  笑 

 

断捨離中

今、断捨離中です。

毎日物を捨てて

片付けてる。

物が減って劇的に生活も変わりました。

家事の効率が良くなって

よく動くようになって体重も減りました   笑

良いことばかりです。

棚を片付けて出てきた「ハーゲンダッツ」の商品券

一枚で2個のアイスクリームがもらえます💕

 

 

父の記憶

戦争中か終戦直後の事
大工だった祖父が怪我をして

七尾の病院に入院する事になった。

かなり重症だったのだろう。

その入院に米が必要だと葉書が来た。

長男の伯父は戦争に行っていて
次男の父が行くことになった。
父は伯父と10歳離れた
小学生だった。

米を持って汽車に乗って
警察の検閲に遭うという心配があった。

村の村長に相談した。
当時は解決が難しい事はそうする習慣だった。

村長は七尾から届いた葉書を持って乗り

検閲があった時に見せる様に言った。

実際に検閲があって
葉書を差し出したら見逃してくれた。
田舎者の小学生の父には

相当恐怖だったと思う。

氷枕

 

 

 

 

 

 

 

 

懐かしいものがもうひとつ

私は「氷枕」と言ってる。

同世代は知ってるかな?

息子たちが熱を出した時は

アイスノンではなく「氷枕」

ふたりとも成長して熱を出す事も無くなった。

でも断捨離で捨てる気になれない。

氷と水を入れると空気が入って風船の様になる。

口をそっと押さえて

水を少しずつ抜きながら中の空気を出す。

そうしないと「氷枕」の効果は全く発揮しない。

これは私が子供の頃

父から教えられた事。

父は父親

私の祖父が怪我で入院していた時

(今の七尾市の恵寿病院)

付き添いをしていた当時小学生の父に

看護婦さんが教えてくれた事。

80年以上も前の事が受け継がれている。

「伝える」ってすごい事だ!