言葉の力

言葉にはその人の

生き方を変えてしまうほどの

力があると思う。

若い頃は人を傷つける事が多かった。

 

 

 

長男が小さい頃

もう20年以上前の事。

時間外の穴水病院で

診察を終えた後

看護師さんが

声を掛けてくれた。

「この子は本当に偉い

痒いのは痛いのより辛い」

帰りの車の中で泣いた。

「アトピーなんて病気の内じゃ無い」

「世の中にはもっと大変な子がたくさんいる」

どれだけ言われた事か。

家に着いてから看護師さんへの

感謝の気持ちを一気に書いた。

それから半年か

一年して病院に行った

エレベーターの前で

生き生きと

お年寄りに声を掛けている

看護師さんがいた。

通り過ぎようとした時

「木下さん」呼止められた。

「あなたでしょ?投書してくれたの」

あの時の看護師さんだった。

病院には月に一回婦長会があり

私の投書が全員の前で

読み上げられたという。

「私にとってとても良い事でした」

無記名で投書箱に入れたはず

どうして私と分かったのか‥‥

それよりも

すごいと思った。

私の言葉でさえ

人の生き方を変える‥‥

この出来事をきっかけに

私は変われたと思う。

 

寒い寒い朝に

寒い寒い今朝

一枚の葉書が届きました。

こんな便りを頂く事の

幸せと

読み終えた時の

切ない想いで

胸がもいっぱいになりました。

何年か前の蓮江寺

犬の子まきの帰り

孫に手を引かれ

ガッカリしている

小さいおばあさんに

ポケットの中の

犬の団子をあげました。

この事がきっかけで

小さな交流が始まり

私にとっての

犬の子まきは

このおばあさんに

あげるためとなり

毎年掻き分け掻き分け

必死で頑張るようになった。

最近お顔を見ないので

心配していた。

今年の犬の子まきも

そろそろ‥

「頑張る!」と思っていた所だった。

病気を機に

市外の施設に入所されたとか。

先日娘さんと自宅に

冬物を取りに来て

うちの前を通り

犬の団子の事を思い出し

涙が出たと書いてあります。

私も涙が溢れました。

今年の犬の子まき

頑張って沢山取って

おばあさんに届けたい。

 

幸せです💕

嬉しい嬉しい

贈り物が届きました。

親しい間柄であるけれど

丁寧な文面。

美味しい和菓子

可愛いガラスの

ペンダントは

ラッキーモチーフの

「鍵」の形。

幸せやな〜〜

見習いたいと思える

こんな人がいる事が。

「温泉に行こう〜〜」と

言ってくれる人がいる事が 笑

メモリアル

2月5日

高洲園で

輪島市の同級生が集結の会

ご来賓の

国会議員

北村茂男先生

父が喜ぶだろうな〜と

写真をお願いしました。

 

 

高校卒業以来の

懐かしい人に再会

皆んな全然変わってなかった。

中学校別のテーブルは

楽しかった。

 

 

 

 

恵方巻

おはようございます。

昨日は節分でした。

「だいたい〜恵方巻なんてモンは

芸者に〜」

言わないと気が済まない人がいる‥

夕方、スーパーの胡瓜3本入り

カニカマが売り切れだった。

昨夜は北北西はどっち?とか

切る切らないで

食卓で会話が弾んだろうな。

コンビニ

スーパーも潤って

家庭でも楽しく親子で

巻き寿司食べて

良いやん!

クリスマス、お正月景気が

終わった2月

売り上げを上げるために

どこかのコンビニの

誰かが一生懸命

昔々の2月の行事を紐解いて

考えたんかなーー?

 

恵方を向いて

黙って願い事を唱えると

叶う!なんて

遊郭で行われていたかも知れない

昔々の事を

現代のハッピー・イベントに

アレンジして

これだけ全国に広めたのは

まさに「日本人の知恵」

恵方巻を考えた人はほんと凄い!

 

と 私は言いたい!

 

 

よだれ鷄の‥‥

ランチで中華を食べた時

夫が注文したのは

「よだれ鷄の何とかかんとか定食」

他のお客さんも全員

その何とかかんとか定食。

よくそんな微妙な名前の物

注文できるなぁ〜😅

なんて思ってました。

献立がマンネリ化の今日この頃

レシピを見たら

ほとんど冷蔵庫にある物で

出来る!ようなので

夕飯はうちも何とかかんとか

 

鷄の茹で汁は勿体無いので

餃子を作った時に残った

「そろそろやばいにら」で

スープーに😅

最近また‥‥

食べるネタばかりになって来ました〜。

ドライブ

定休日、お天気は悪かったけど

家族で出掛けました。

西岸 「遊帆」

2回目のカレー

実は西岸には

思い出がたくさんあります。

母の姉、伯母がいて

小学生の時の春休みは

ずっとひとり

西岸で過ごしてました。

伯母の家は海の反対側

山側にあって

海で遊んだ記憶が全く無い。

きっと伯母から

海の方に行くのは

止められていたんだと思う。

カフェの窓からは

伯母とお風呂に入りに行った

国民宿舎が見えます。