お友達の薔薇を見る度に思い出します。
あれは義母を突然に亡くして
立ち直れずにいた時の夏‥
友達大勢で羽咋の山の上の
コテージで一泊した朝
何と無く散歩に出ました。
バーベキューを一緒にした地元の方が
「朝の散歩は気持ちが良いですよ」と
言ってたらでした。
「テレビによく出る
有名な薔薇観音てどの辺なんやろ?」
遠いのか近くなのか見当もつかなかった。
前方に立ち話してる人がいて‥
そばまで行くと
瀬戸内寂聴みたい紛れも無い
薔薇観音大光寺の庵主さんだった。
「嘘やろ?こんな偶然ある?」
びっくりだった。
スッピンに部屋着で
素足にサンダル履きの私なのに
庵主さんは薔薇園を広げる予定の土地
立派な本堂に案内してくれて
薔薇の話し庭の話し
いろいろお話しをしてくれました。
私は正座して「素足ですみません」
何度も謝った記憶があります。
「犬の散歩を終えていつもなら
あそこにはいないのに
たまたま近所の奥さんがいたので
立ち話してました」
庵主さんの言葉に
この出会いはきっと意味がある!
私はずっと抱えてきた
誰にも言えずにきた
「人が死ぬってどういうことなんですか?」
率直にぶつけたくなりました。
言いたい
言ってしまいたい
「普通の人」には聞けない
チャンスだったのに‥
結局言葉に出す事が出来なかった事を
とても後悔しました。
大切な人を亡くした時
立ち直れずにいる時は
それまでの自分とは違う自分で‥
そういう時に出会う人は
「出会うべき人」以上
「特別な人」いや「運命の人」で‥
「亡くなった人が
引き合わせてくれた」をも信じられる‥
その特別な人を掴んでぐっと引き寄せ
「前に出る」「進む」もありだと思う。