能登は優しや土までも

10年以上前
胡弓の楊興新が好きになり
金沢のコンサートにも行きました。

ステージで語った事は
今でも覚えています。

文化大革命で学者だった父親が
無実の罪で何十年も投獄され
母親は罪人の妻という意味の
黒い服を着せられていた。

貧しくて食べるの物が無く
お母さんは木の皮も食べ
子供を育てた。

最も印象的だったのは

日本に来て再婚した奥さんが
クモ膜下出血で
寝たきりになっている。

介護で大変な時
友人から「能登に行って来たら?」
勧められたという。

いつか能登に行ってみたいと言いました。

金沢でのコンサートなら
ご当地の事を
持ち上げる事を言うのが普通。

中国人の楊興新にとっては
金沢も能登も同じ感覚だったのだろうな。

能登を勧めた
楊興新の友人は
能登にどんなイメージを
持っていたんだろう。

随分前のある講演会で
講師が若い頃失恋をして
「岬めぐり」の歌を聴き
能登半島に行きたくなり
ひとり旅に来た話しをした。

「能登は優しや土までも」

誰が言ったのかな?
誰が作ったのかな?

大々的にPRしてる。

もし能登が優しく出来なければ

「私は美人でプロポーション抜群!
非の打ち所がないくらい
いい女でしょ?」
聴取の前で言うくらい恥ずかしい。

旅の人は色んなきっかけがあって
輪島に来てくれているはず。

人は誰でも
色んな事情も人生も抱えてる。

私は優しく接するように
心掛けている。